平安の女流歌人 小野小町について

絶世の美女として知られており、美人の代名詞とも言える人物だが、平安時代の女性のご多分に漏れず、生没年をはじめその素性はほとんど明らかにされていないなど、その人物像には謎が多い。同じく百人一首に選ばれた小野篁の孫とも言われるが、多くの学者からは矛盾点が多いため否定されている。出生地も諸説あるが、秋田県湯沢市がもっとも有力とされ、あきたこまちなどの名前の由来となっている。第54代天皇の仁明天皇から、その子である文徳天皇、孫の清和天皇の三代の時代に宮中で仕えていたと言われており、仁明天皇の更衣(父親が身分の高くない天皇の后)だったという説もある。

小野小町のエピソードとして特に知られているのが、深草少将の百夜通いである。小町に惚れていた求愛した少将は、小町から百日間毎日通い続けたら受け入れると言われ、毎日欠かさず小町の元へ足を運び続けたが、百日目に大雪のため願い叶わず凍死してしまったという伝説である。この話はフィクションであるが、少将のモデルとなった人物は存在したと言われており、同じく六歌仙にして交流のあった遍昭がその候補者に挙げられている。

その一方、小町は長命であったと言われているが、その晩年を描いたエピソードは乞食となって落ちぶれた、地方各地を放浪して行き倒れになったなど、美人と謳われた全盛期とは一転して不遇なものが多い。その反面、故郷の東北に帰って静かに隠棲した、百夜通いで命を落とした少将を弔って90歳近くまで生きたなど、穏やかな晩年を描いた話も少なくない。

「小町」

一千有余年の時を経て 人々を魅了し続ける 謎の美女 小野小町


誰もがその名を知り、一千有余年もの間、人々を魅了し続けてきた、謎の美女 小野小町。
しかしながら、実在の小町がどのような女性だったのかは、大きな謎に包まれています。
小町はどこで生まれ、どう生き、そして伝説の人にとなったのか?
『小町』は、小野小町ゆかりの寺である隨心院代々伝わってきた小町伝説を纏めたものです。
文章は、隨心院執事長 亀谷英央師。
写真は、京都を代表する写真家の一人である北奥耕一郎氏が担当しました。

小町の人生を、淡く、儚く、幻想的に描き出しました。
販売は、当院にて通信販売しております。

是非、ご一読ください。